谷地

今日は、谷地にいく。
午前中から
ママは、仕事でいそがしい

山形市の天気。晴曇り。7.1/-0.5

2016年2月27日(土曜日)

平成28年2月27日

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人事を尽くして天命を待つ

じんじをつくしててんめいをまつ

人事を尽くして天命を待つ(じんじをつくしててんめいをまつ)とは
できることはすべてやり、
そのあとの結果は運命にまかせる、ということです。

分かりにくいですか。

ようするに、やるだけやったら、
あとは運にまかせる、という意味です。

だからなんだって?

そうなんです、このことわざのは
急がば回れや猿も木から落ちるのように
分かりやすく何かを教えてくれている、
というものではありません。

天命とは、天に与えられた命令、
神さまが「おまえはこうなるのだ」と
決めたこと、というような意味です。

したがって、これだけでは、
どうするべきなのか分かりにくいばかりか

「どうせいくら頑張っても
神さまにダメと言われたらそれまで、
あーがんばるのやめやめ」

みたいな、たいへんよくない意味に
とられかねません。
もちろんそんなことないですよ。
そんなことわざなわけないじゃないですか。

ではどういう意味なのか?
もう少し考えてみることにします。

人事をつくせば、こんな変化が!

私が「人事を尽くして天命を待つ」
ということわざが好きな理由のひとつは

やるだけのことをやり尽くせば
結果がどうなろうとも悔いが残らないもの、
このことわざは、
それをあらわしているように感じるからです。

以前見た、ドキュメンタリー番組で
こんな話がありました。

ふたりの男が、雪山登山をしますが、
そのうちのひとりが、ガケから落ちて
動けなくなってしまいます。

そこで、もうひとりの男が、
助けに行くのですが、
そのままふたりとも道に迷ってしまいます。

雪山で右も左も分からず、
どうにもならない状況なのですが

「こんなところで死にたくない」
「絶対に帰る!」

と、骨折して動けない仲間を背負いながら
いっしょうけんめい山を降りようとします。

しかし、深い雪にはまりこんだり
穴に落ちたりして、なかなか進めません。

次第に体力がなくなっていき、
そのうち歩くこともできなくなりますが、
それでも斜面を転がり落ちながら
少しでも下にいこうとします。

そして最後には、広い場所に転がりついて
完全に動けなくなります。

「もう、やれるだけのことはやった」

あとは雪に囲まれたまま、
あお向けになって空を眺めているしかありません。

ここまで担いできた仲間と
なすすべもなく時間がたつのを待つのみ、
しかしそこに、空から捜索にきていた
ヘリコプターに発見されて助かります。

人事を尽くして天命を待つとは
こういうことではないかと思います。

この男たちは最初、
「こんなところで死ぬのはイヤだ」
みたいな感じで、必死になっていましたが、

最終的には、
「やれるだけのことはやった」
という心境に変化しています。

最終的にヘリコプターが来てくれるかどうかは
自分たちではどうしようもできないことですが
少しでも発見されやすい場所に移動するのは
自分たちでできることです。

そして、力のかぎり動いたからこそ
「できるだけのことをやったのだから
これで助からなかったらしょうがない」
という覚悟ができたのだと思います。

うまくいく、いかないは最終的には運しだい、
つまり天命という部分もありますが
結果はなんであれ、悔いを残さないという点でも、

やれるだけのことはやる、
つまり、人事を尽くすというのは
大事な意味があるんじゃないかと思います。

引用

四季風呂暦2月

梅湯(うめゆ):
咲き頃の梅の花を花瓶に生けて、浴室に置くことによって香りがこもる。植物に含まれる芳香物質をかいだり、肌にすりこんだりして健康作りをすることをアロマテラピーといい、梅の香りもストレス解消に効く。

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